ストーリー
1987年12月16日、神奈川県藤沢市に産まれる

1歳1ヶ月、左利きであることが発覚

お姉ちゃんとまだ仲が良かった頃

藤沢市から焼津市へ
藤沢市の湘南台で3歳まで過ごし、父親の仕事の関係で静岡県焼津市(旧大井川町)へ。
寝る時は猫のみーちゃんとタオルケットが必須

ちなみに今も就寝時はタオルケット2枚を使いこなしている。
愛犬ラッキー


剣道を9年間続ける

小学生の時はピアノ、水泳、習字、剣道と、なにやら色々と習い事に通っていたが、最終的に剣道が生き残り9年間続けることになる。大して強くなかったことは自覚していたが、勝ち抜き戦方式の大会でいい位置に入り、運良く優勝。
副キャプテンに選出
中学ではレギュラーでもないくせにこれまた何故か副キャプテンに選ばれ、とっとと負けて引退したい思いとは裏腹に、順調に東海大会まで行ってしまう。
この時点で音楽はピアノを少しやっていた程度で特に好きと言うわけではなかった。ピアノもめちゃくちゃ嫌がりながら教室に通っていたのを覚えている。
どのくらい嫌だったかと言うと、小学生の頃、見かねた先生が外に連れ出しその日のレッスンをお花摘みに変更したくらい嫌だった。
中3になり転機が訪れる

授業で技術か家庭を選択するのだが、男子は大体技術を選ぶ。
自分ももちろん技術を選んだのだが、その時の授業内容が1年かけてギターを作るという授業。
強いて言えば当時BoAやCHEMISTRYあたりのJ-POPは好きで聴いていたが、ギターには1ミリも興味はなかった。
ただ、せっかく作ったギターを弾かないのはもったいないので、高校に入ってから少しずつ独学で練習。
1ヶ月ほどでFコードもなんなく弾けるようになり、自分で言うのもなんだが、中々スジが良かった(笑)
しかもこの自作ギター、工程を間違えたようで弦高が2cmくらいあるとんでもないギターだった。(正常なギターの弦高は1.5mmくらい)
恩師、松下先生と出会う



段々とギターが楽しくなってきて、藤枝のすみやで開講しているYAMAHA音楽教室へ入会。
思い返すと松下先生に褒められた記憶はほとんどないが、けなされても折れない根性をつけていただき、結果今に生きていることがたくさんあるのでとても感謝している。
以前お会いした際にそんな話をしたら、「だって、褒めるところなかったからなぁ。」と言われた(笑)
友達とバンド組んで文化祭に出たり、名古屋までレコーディング合宿に行ったり、なんだかんだ楽しい高校生活を送る。
極真空手の大会で3位になる

卒業後、東京の音楽学校メーザーハウスへ入学

3年間通うことになるのだが、ここでの3年間が今の礎となっていることは間違いない。
アンサンブルの発表会ではバンドとして入賞し、個人賞みたいなのもいただいた。
バンド活動

学校外でもバンドを組み、この時のメンバーには各々別件で長いことお世話になった。みんな元気かな?
20歳の時、初めてギャランティをいただく仕事をする

水戸内原のイオンで行われたなんらかのパーティーでの演奏。
もう思い出したくないくらい散々な演奏だったと思うが、本当にいい経験をさせていただいた。
SAXがいたのでトゥルースとかワインライトとかテイクファイブとかハーレムノクターンとか、そんなのをやった記憶がある。
静岡で講師生活スタート

静岡へ戻り、当時まだ1店舗しかなかった音楽天国に声をかけていただき講師生活をスタートさせる。
ついに専業で活動することに


初めはバイトをしながらだったが、徐々に生徒さんも増えていき無事専業へ。
ギターマガジンで賞をとったり、ビジュアル系のサポートをしたり、今でもお世話になっている静岡のミュージシャン達と出会ったりと、なんやかんやで今に至る。
今後も充実した音楽生活を

自分を選んで来てくれている生徒さんを大切に、また後進の育成も視野に入れつつ演奏家としての自分を練磨することを怠ることなく、今後も充実した音楽人生を歩んでいこうと思う。